高取焼略年譜

最初のページはこちら

高取焼略年譜  高取焼の概説

高取焼略年譜

西 暦 和 暦 高 取 焼 関 係 事 項 一 般 事 項
1592 文縁元 八山、黒田長政に拝謁す。長政の命により後藤又兵家人桐山常右衛門が八山夫婦および一子を連れて渡海し来る。 文禄の役。秀吉、朝鮮に出兵。千利休没。
1598 慶長 3   秀吉没。朝鮮出兵中の将兵、帰陣。
1600 慶長 5 黒田長政、豊前中津から筑前博多に移封となる(12月)。 関ヶ原の戦い(9月)。
1606 慶長11 鷹取城主に手塚氷雪任命。この頃、永満寺宅間窯開窯さる。八山、八蔵の名を賜る。  
1608 慶長13 小堀正一、駿府城作事奉行に命ぜられ、その功により遠江守に叙せられ以後遠州と呼ぱれる。遠州30才。  
1614 慶長19 内ヶ磯窯開窯。 大坂冬の陣。
1615 元和元 幕府の一国一城令により鷹取城廃城。 古田繊部重然自刃(79才)。
1623 元和 9 長政没(8月)。嫡子忠之が相続。遠州、伏見奉行となり、生涯この職を勤める。  
1624 寛永元 八蔵父子、忠之の勘気にふれ山田村に邊居.山田窯開窯。 神屋宗湛、博多文琳を忠之に献ず。
1628 寛永 5 高取焼、「遠州茶会記」に初めて見ゆ(茶入、水指)。  
1630 寛永 7 自旗山開窯。八蔵と長男八郎右衛門は伏見の小堀遠州のもとへ指導を受けに行く。  
1635 寛永12   神屋宗湛没(85才)。
1647 正保 4 小堀遠州没(69才)。  
1654 承応 3 八蔵(八山)白旗山にて没(8月)。嫡子八郎右衛門多病のため二男新九郎、二代となり八蔵貞明と名のる。黒田忠之汲(2月)。 黒田光之、三代藩主となる(4月)。
1665 寛文 5 自旗山窯から小石原鼓に窯を移す。  
1682 天和 2 小石原中野にて、光之、肥前伊万里より陶工を将来し陶器を作らしむ。  
1684 貞享元 この頃、八之丞小石原中野に移る。  
1685 貞享 2 八郎重房、八郎右衛門の跡式を継ぎ、六人扶持で御用陶工となる。  
1688 元禄元 この前後に、福岡城の南、大鋸谷に窯を開く。四代綱政襲封。  
1690 元禄 3 絵師の狩野昌運、黒田藩の御用絵師となり、御用陶器に絵付を行う。  
1691 元禄 4 二代八蔵貞明、福岡の役宅にて没(4月)。実子八九郎、家督を継ぎ、三代八蔵となる。  
1704 元禄17 2月、八蔵は鼓村より博多奥乃堂へ引越す。夫鋸谷窯不意に取崩となる。  
1707 宝永 4 三代光之没(5月)。  
1708 宝永 5 荒戸新町に窯を開く。  
1711 正徳元 四代綱政没(6月)。五代宣政襲封(8月)。  
1716 享保元 東皿山開窯。  
1724 享保 9 八郎重房没(4月)。  
1741 寛保元 西皿山開窯。  
1744 延享元 五代宣政没(8月)。  
1771 明和 8 黒田治之、西皿山見学(3月)。  
1820 文政 3 「高取歴代記録」なる。  
1871 明治 4 廃藩置県により廃窯。  

九州歴史資料館研究論集31 「筑前国焼高取焼の様式変化について」より抜粋させていただいております。

ページの先頭へ